かつ丼を待つあいだに、道の駅こもちの裏手で黒い塔を見上げる

2026年9月22日に訪問

道の駅こもちで、かつ丼を待つあいだに物産館の裏手を歩きました。 茅葺き屋根の建物の脇に黒い塔が立っていて、何に使われているのかが気になりました。

かつ丼を待つあいだに、物産館の裏手へ

お昼は、お食事処「食創庵」のかつ丼(1050円)。
食券は券売機で買います。
着いたのは14時ごろで、店はとても混んでいました。
できあがるまで30分ほど待つことになり、その間に物産館の裏手へ回ってみました。

茅葺き屋根の建物の脇に、石垣が積まれています。
その上に立つのが、黒い板張りの塔。
上の窓には提灯が下がっていて、「白井宿」の文字が見えます。
手前は岩を組んだ庭で、松の木が枝を伸ばしていました。

物産館の裏手です。

丼からはみ出す、分厚いかつ

戻るとかつ丼ができていました。
丼の縁より高く、卵でとじたかつが重なっています。
上には刻み海苔。
みそ汁と漬物が付いてきました。
豚肉は分厚く、一切れずつ食べ進めても、なかなか減りませんでした。

食創庵のかつ丼です。

食堂は11時から。
平日は16時まで(ラストオーダー15時)、土日祝は18時まで(ラストオーダー17時)です。
連休中の14時でも30分待ったので、休日は時間に余裕をもって行くのがよさそうです。

塔の名前は分からなかったけれど

帰ってから調べてみました。
道の駅の公式サイトの施設案内や全体図を見ても、塔と茅葺きの建物の名前は載っていません。

手がかりになったのは、現地でもらったパンフレットです。
道の駅のすぐそばにある旧宿場町・白井宿では、「六斎市(ろくさいいち)」という市が定期的に立ち、近くの人たちで賑わっていたそうです。
いまも町の中央を白井堰が流れ、つるべ井戸が残っています。
パンフレットに載っていた白井宿の写真には、道の駅の塔とよく似た形の、先の細い塔が写っていました。

白井宿を素通りした道の脇に、道の駅がある

白井宿の成り立ちは、渋川市の資料「白井城と白井宿の歴史」に詳しく書かれていました。
白井は、利根川と吾妻川が合流するあたりの段丘の上にある集落です。
中世には西の丘に白井城が築かれ、関東管領上杉氏の配下だった白井長尾氏が、約300年にわたってこの一帯を治めました。

城がなくなったあと、住民は城下町の地割りを生かし、短冊形に町を割り直しました。
寛永11年(1634年)より少し前のことです。
沼田街道が通り、草津街道や三国街道にもつながる場所で、町並みは900メートルを超えました。
上・中・下の町内が交互に、五と十のつく日に六斎市を開き、元禄のころ(1700年前後)から盛んになったそうです。

様子が変わったのは明治に入ってからでした。
清水越往還という新しい道が開通し、白井は人の通りから外れます。
市場町の役目は吾妻川の対岸の渋川に移り、白井は農業を中心にした集落になっていきました。
この清水越往還が、いまの国道17号です。

道の駅こもちは、その国道17号の鯉沢バイパス沿いにあります。
2000年8月に当時の子持村が「道の駅」に登録しました。
翌2001年には、第三セクターの子持産業振興株式会社ができ、2011年には物産館の開設10周年の感謝祭を開いています。
子持村は2006年に渋川市と合併しましたが、道の駅の管理はいまも同じ会社が続けています。

撮った写真を見返すと、売店は「うまいもん処 六斎茶屋」。
物産館の名前は「白井宿ふるさと物産館」です。
公式の全体図には「よろず催し物処 六斎市」という場所もありました。
白井を素通りするようになった国道の脇で、物産館や茶屋に白井宿と六斎市の名前が付いています。

塔の用途は、まだ分かっていません。
次は白井宿まで歩いて、あの塔と同じ形のものを探してみたいです。

この記事の公開日:2026年9月28日

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